今月のインタビュー “LE”CAFE

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”LE” CAFE

Lifestyle Enrichment

豊かなライフスタイルのヒントみ〜つけた!

1971年にデビューしてから、歌手、ギタリスト、音楽プロデューサーとして、多彩な才能を発揮している野口五郎さん。活躍を続けるその原動力は何でしょうか。音楽とともに過ごしてきた充実のライフスタイルをお話いただきました。
野口五郎さん 歌手、音楽プロデューサー

1971年に歌手としてデビュー。1975年の「私鉄沿線」で日本レコード大賞歌唱賞など、その年の各音楽賞を総なめし、一躍トップスターとして、脚光をあびる。ギターテクニックも有名。歌手、ギタリスト、俳優として活躍する一方、現在は音楽プロデューサーとしてものまね、インディーズ、オリジナル楽曲などのプロデュースを手がけている。ショップジャパンの「ニューカバー」をプロデュース。

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「音楽とともに過ごしてきた人生。これからは音楽業界に貢献、恩返しがしたいですね。」

歌手デビューをして叶えた夢

今年で芸能生活38周年ですね。歌手としてデビューしましたが、歌手になるのは幼い頃からの夢だったんですか。

そうですね。物心ついた時からそう思っていました。一番古い記憶は、3歳の時に町内の、のど自慢大会で歌ったこと。そのことははっきり覚えています。幼稚園の時にはウクレレを弾き始めて、小学校1年生には、ギターも弾き始めました。上京したのは中学2年生の時。「歌手になるつもりで東京へ来ないか」と作曲家の先生に言われたんです。でも、上京してすぐに変声期で声が変わっちゃって、その話はなんとなく消えてしまって…。途方にくれていた時に、ロックバンドに誘われて、東京の赤坂近辺のライブハウス、当時のゴーゴークラブで、歌いながらギターを弾いていた時もありました。ロックバンドでデビューする話や、4人のグループで出す話もありましたが、バンドもグループも違うなぁって思って…。それで、結局それからレッスンを積んで、演歌でデビューしたんです。

演歌というジャンルに抵抗はありませんでしたか?

なかったですね。今でこそ音楽というのは、ポップスとか、演歌とか、色々分類されますけど、当時は全部一緒。1位になったら全国区でしたから。今はJ-POPとか、かっこいい言い方しているけど、演歌であろうが、J-POPであろうが、日本語で歌えばそれは「歌謡曲」なんだと思います。それに、まず自分の声の入ったレコードを1枚出すっていうのが夢でしたから。ヒットするとか、みなさんに認知してもらうなんていうのは、その先の夢のまた夢。まずはレコードを出すことが当時の夢でした。

その夢が叶い、「私鉄沿線」ではレコード大賞歌唱賞を受賞されました。夢を叶えるまでのモチベーションは何だったんでしょうか。

僕には、沢田研二さん、五木ひろしさん、布施明さんといった先輩がいました。みんな7〜8つ違うんですね。僕がデビューした頃は同世代がいなくて、まだまだ縦社会の厳しい世界でしたから、僕が一番末っ子といった感じでした。当時は楽屋も個室がなくて、みんな大部屋。僕は、ノックして荷物だけ置かせていただいて、着替えとかは全部トイレでしました。先輩に対して、正面でおはようございますなんて挨拶もできませんでした。正面でまず頭を下げて、通り過ぎてから、先輩の背中に「おはようございます」ってご挨拶する。そういう時代でした。そういった大先輩たちを見て、僕もスターになろうという思いを強くしましたね。

新御三家といわれる他のお2人、西城秀樹さん、郷ひろみさんは、野口さんより1年後にデビューされたんですね。よきライバルといった感じでしたか?

ライバルというより、その時代を駆け抜けた同志ですね。2人を含めて、同世代はみんな1年くらい後に出てきたんです。それからはもう、なんかみんな仲間っぽくなっちゃって…。だから、あの縦社会の厳しい世界を味わったのは僕だけですね。

大好きな音楽への思い

ギタリストとしても活動されていますが、歌うことと、演奏することに違いはありますか。

僕は音楽全般が好きなんです。歌うのも、演奏するのも、聴くのも。家にはかなりのクラシックのCDがあって、いつもどこかで流れています。洋楽も大好きです。日本にAORが入ってきて、その前にフュージョン、クロスオーバー、ジャズロック、ソウルロックとか言われている頃から聴いていました。影響を受けたものは、いっぱいあります。驚かれるのは、当時のフュージョンなんかを聴くと、ベースが誰で、ギターが誰で、ドラムが誰で、ピアノが誰で、っていうのが音を聴いただけで全部分かるんですよ。それだけレコードを聴きこんでいました。

やはりご家族みなさん音楽好きだったんですか?

母親も父親も音楽大好きで。でも強制的に親から教わったことはないし、ギターを始めたのも自分からでした。音楽はいつもそばにあったんです。初めてドラムセットに座った時も、叩けましたから。頭の中にもう形ができていたんですよね、きっと。

ギター以外の楽器も使われるんですね。

ギターと違って、ドラムとかベースは自分の本業じゃないから余計に誰にも負けたくなくて、結構‘コソ練’をしました(笑)。スタジオに入って打ち合わせすると、僕がずいぶん専門的なことを知っているので、みんなポカンとしますよ。たぶん僕は、とにかく明るいオタクなんです。大体、音楽好きっていうのは、オタクですよ。明るいか、暗いかの差で。パソコンとか楽器にダジャレ言うのは僕くらいだと思いますけど(笑)。パソコンは笑ってくれないですけどね。時々フリーズはします…。「あっ、しまった、保存するのを忘れていたなんて。何だよ、今日一日俺何やってたんだ…」って。

バラエティ番組にも出演されていますが、‘タレント’と‘歌手’の野口さんは、違いますか?

タレントというのを意識したことはないです。最近、わりとそういう番組が多いので、要望があればちょっと出ようか、ってくらいです。今回はダジャレ大会ですって言われて、どうしようっかなぁって思いながら、出演して、優勝、みたいな(笑)!でもそのときは、途中でCMの間にマネージャーに相談しました。「どうする?優勝する?でもこの辺で止めといた方がいいと思うんだけど…」「いや、どうせだったら優勝した方がいいですよ」って言われたんで、優勝しときました(笑)!

ダジャレはやっぱりお好きなんですね。

でもね、もともとはダジャレを言ったり、ギャグを言うのは、自分の欠点をカバーするための手段だったんです。すごく大人しくて、喋らなかったんですよ。話すと自分の故郷の訛りがでちゃったんで。当時は、無口イコール美徳、みたいな時代でもありましたしね。デビューしてしばらくの間は、喋れなかったなぁ。でも、ダジャレとかギャグを言うと、それで人を安心させることができるじゃないですか。より苦痛だと言われることもありますが…(笑)!

仕事をする上で心がけている事はありますか?

僕は昔から音楽が好きで、20歳の頃からスタジオを作って音楽制作してきました。その変わり方ってすごいんですよ。デビューした頃は、まだモノラルからステレオになったばかり。レコーディングは、4チャンネルが今は24チャンネルになって…と思ったらアナログからデジタルになって。どんどん変わってきているんですよね、そこに何とか脱落せず、こうしてついてきている。最近の若い人は、直接デジタルで物事を考えているんですね。でも、僕は一回アナログからコンバーターで変換して全てデジタルを考える。こういうのって少ないと思うんです。僕みたいなのがいるから、何か音楽業界に貢献できるんではないだろうか、恩返しがしたいな、と思っています。

音楽とともに暮らしてきた野口さん。音楽への思いとそのこだわりについて、もっともっと語っていただきます!